テレビをほとんど見ない僕が、忙しさなどにかまけてまともにネットサーフしてなかったら情報から隔絶されすぎて打ちのめされもする。具体的にはクラーク氏が亡くなったのを今知りました。
で、冥福を祈る、という言葉の意味がよくわからなかったので調べると浄土真宗的にはこの言葉は間違っているらしいということを知り、であれば、こういう場面では僕はなんといえばいいのだろうか。なんとも言いがたい気分だ。
世界的に認められて、愛したがゆえに移住したスリランカの地で眠りにつき、しかもそれが九十歳であったといえばあとはいったい何を望もうかといった風情であろう。ならば哀悼を云々というのは親戚ですらない俺が軽々しく口に出してよい言葉ではあるまいな。
ならば、先人に敬礼、といったところか。
お疲れ様でした。よい夢を。
そして、もし出会うことがあれば、アシモフ氏に宜しくお願いします。