俺がいままで
読んで来た本、というのを考える。
かつて俺は読書少年であって、今もそこそこ読んでいると思っているが、小学校当時などは学校の図書館くらいなら概ね読み終えるという程度には本を読んでいた。
そのなかで、もっとも好んでいたのは、冒険ものであったように思う。十五少年漂流記やロビンソンクルーソーや岩窟王に狂っていたのは幼稚園から小学校低学年のころで、アラビアンナイトやマルコ・ポーロやコロンブスの伝記に狂っていたのはもうちょっと上級生になってからだったような気がする。四年生くらいか。ガンダムと初めて出会うのもこのころ。
もうちょっとうえにいくと、失われた世界とか、海底二万マイルとかになって、そこからいきなりシートン先生やファーブル先生の著作に飛んで、そこから、どういう経緯であったかどうか忘れたが、さらにフォーチュン・クエストに飛んだんだよな。あらいずみるいさんの絵が苦手でどうにもスレイヤーズとかそういう路線のスーパーファンタジーには乗り切れなかったのだが、比較的リアリティ路線のファンタジーが好きなのは絶対に深沢先生の影響だと思う。でもロードスあたり全然読んだことないのが、魔法という概念へのスタンスに影響を与えてるんだな、と思った。んで、そのあたりでブギーポップを読んだ。これくらいまでは覚えてるんだ。
それから、なに読んでたかなあ。歴史小説を読み始めるのはもうちょっとあとだと思うので、二年くらい俺のなかで空白があるんだが、フルメタルパニックとかだったろうか。あのころは(俺の中での)ライトノベルに勢いがあった時期なので、単にラノベを読んでた気もするのだが、はて。
テレビ番組
歴史番組の専門家枠連中の寒いこと寒いこと。
実際にはむろん専門家などではない。歴史小説家などに過ぎず、本能寺の変で信長が死ななければ産業革命は日本でも起きていた、などということを言っていたらしいのだが、どういう根拠でソレを言ったのだろうか。
いやそう思うことそのものはいい。そもそも鎖国というのは、戦国から江戸初期にかけての南蛮貿易というのはそもそも輸入超過で、貨幣として使われていた金銀の海外流出が著しかったためにやった経済政策としての側面もあるわけだが、徳川幕府が家光の代になってようやく到達した経済政策を行うまでもなく、先見の明を持って産業を起こし、工業化し、あまつさえ積極的に外界と交易をやるというのを(本能寺の変当時既に48(あと2日で49だけど))だった信長が死ぬまでに少なくとも方向性を明確に定めてから死ねた、というのか?
正直ちょっとと言わず考え辛いのだが、実際どうなのだろう。詳しい人の話を聞いて見たい。先日友人にも指摘されたが、俺はどちらかというと歴史的軍オタに近く、経済政策などに関してはカラッキシとまではいかないにせよ、あまり詳しくはない。
サクラ大戦
サクラ大戦について。
ツイッターで色々と話したのだが、真宮寺の家系は破邪の血統と呼ばれる血に霊力を溜め込んできた一族であり、霊剣荒鷹と呼ばれる霊剣を持って降魔と戦ってきた一族であるということらしい。
のであれば、真宮寺家の剣術というのは由緒ある歴史の長いものであるべきであって、さくらがそもそも北辰一刀流であるのはおかしくないか、ということが考えられよう。
御存知の通り北辰一刀流というのは幕末の初期に千葉周作が立ち上げた流派であって、これの達人ということは少なくともさくらが学んでいる流派は、せいぜい幕末スタートの流派ということになり、長い歴史の中で編まれた流派というわけではまったくなくなる。親父がさくらに技を教えるまえに死んだので技が絶えたのかとも思ったが、調べてみるとそもそも祖父が北辰一刀流千葉道場で秀作その人に師事した人間であるらしい。何歳だよ。いや、まあ年齢はいいけど。
そうすると幕末くらいまで真宮寺家はそもそも普通に神職で、なんらかの理由でたとえば第二第三家督継承者であったはずの祖父が家督を継承し、そのときに神職臭さの排出と北辰一刀流の導入がなされたと考えるのはどうか。(どうかと言われても)